コミックス感想:波津彬子 『雨柳堂夢咄』 其の六
2006年 06月 09日
『雨柳堂夢咄』では、骨董屋・雨柳堂を訪れる人や、持ち込まれるいわくつきの品々をめぐって様々なお話が展開していきます。狂言回しは雨柳堂店主の孫息子・蓮。器物の化身、妖たちと言葉を交わすことができる青年 (少年?) で、なかなかの美形! 優しげなみかけによらず、腕っ節も強くて頼りになるのです。
この蓮くん、雨柳堂店主のお孫さんということですが、なんだか不思議な存在です。店主のおじいさんとは見た目に似たところはないし、彼の両親は死んだとも生きているともつかず、その面影さえチラリとも出てこない。そのうえ、普通の人間には見えないものを見、聞こえないものを聞く能力がある。どうも彼が血肉を持った人間だという気がしないのです。読み進むにつれ、本当に彼は人間なのかしら、彼こそが「雨柳堂」というお店についた精霊なんじゃないの? と思えてきちゃったりするのでした。
まぁそんな蓮くんのあるかどうかわからない正体は横に置いておいて、この6巻に収録されている9編のうち3編は、これまでのお話からずっと続いている贋作家・篁と“つくろい”の修行をしている釉月に関連するものでした。このふたりの関係が明かされてからかなり経ちますが、なかなか出会うところまで話が進みません。過去から逃げているような篁はこれ以上自分から動きそうにありませんが、ジリジリと釉月ちゃんが篁との距離を縮めようとしていっているので、これからの進展が楽しみです。
ほかの6編はほのぼのしたもの、クスリと笑えるもの、ホロリと泣かせるものなど、バラエティに富んでいます。いずれも読んだあとはほんのり暖かい気持ちになるものばかりで、安心して読めました。
一番印象に残ったのは「通り悪魔」かな。“魔がさす”とよく云いますが、人のちょっとした隙をついて現われ、人を絶望や狂気へと誘い入れる存在が恐ろしい、ちょっと怪談めいた話。最後には魔を祓い、ちゃんと希望が出てくるところが「雨柳堂」らしいです。母親を元気づけようと幼いながらに懸命な少女もいじらしい。それに燕の化身である紫臙 (しえん) と有衣 (うい) 夫婦のしっとりと落ち着いた様子がなんともいい感じでございました。
人ならざるモノが人間と同じくらい登場する「雨柳堂」ですが、今回も↑の通り悪魔のようなコワイのから古物売りのおじじ、中国の茶壺 (チャフー) の化身といった愉快でカワイイのまで個性豊か、色とりどりでした。
モノに思いをかけて長い間愛着を持って扱っていると、たとえそれが芸術作品と呼ばれるようなモノでなくとも、こんな風な精霊がつくのかもしれないと考えたら、自分の身の回りのものを大事にしなきゃ、という気持ちになりますね。
雨柳堂夢咄(6)
波津 彬子 / 朝日ソノラマ